
Chapter 61. 『夏休みの記憶。』札幌市清田区学習塾
皆さまお久しぶりです!最近更新ができていなくて申し訳ないです🙇♂️
先週、体調不良により発熱から始まり、中耳炎、、ここ数日でようやく体調も好調になってきましたので久しぶりに記事を更新しようかなと思います。
今回は夏休みの思い出について。
皆様は学生の時はどんな夏休みを過ごしましたか?
家族でキャンプ、親戚の家で過ごす、旅行などいろいろな思い出があると思います。
今回は私の中学時代の夏休みの記憶を書かせていただきます。
どうぞ↓
まず初めに、小学生の頃の夏休みは両親が共働きの家庭で生まれ育った私はとにかく暇だった。
親父は単身赴任、母親はいつも通りパート、他の家庭の子供がキャンプ、旅行だと騒いでいる間でも、通常通りに行われる夕方のスポーツの習い事に追われ、平日昼間は特にやることもなく時間が過ぎるのを待っていた。あの頃、ゲームなんて暇つぶしの道具はなくて、ひたすら夏の日照りを感じながら、学校の宿題、家の前で壁にサッカーボールを蹴ることに夢中になっていた。そんな代わり映えのしない日々だったが、お盆に長期で親父が単身赴任から帰って来た時は、近所の大人や子供が集まって実家の庭先で三日三晩焼肉をする、親父の実家に泊まり墓参りをするくらいだったが良い思い出である。焼肉では大人は酔って歌い踊り、子供は花火を楽しむ。そんな田舎だった。
しかし、中学生になると、夏休みは「積丹」に飛ばされる。
親父が生まれ育った漁師町、積丹。親父の実家こそあるが、爺ちゃんとばあちゃんは私が生まれる前に亡くなっていたので家があるだけだった。祖母は親父が高校生の頃に癌で亡くなった、祖父は私の姉が生まれてから半年ほどで亡くなった。写真でしか見たことのない祖父母。それでも、積丹にいくと、どこか温かい気持ちになりご先祖さんが見守ってくれている気がする漁師町。
中学生だった当時、不良でどうしようもなかった私について学校の先生と両親が話し合い「地元にいると悪さばかりするから」と、夏休み期間中は父親の地元の先輩が経営している積丹の旅館で住み込みのバイトに行かされた。
積丹につくと70、80近いばあちゃんたちが「あら〜、◯◯の息子かい!大きくなっだな〜、すっかり大人になったもんだべ、飯さ食ったか?」と出迎えてくれる。中学生だった当時、地元では尖っていたが、積丹では「どうも、お久しぶりです」と挨拶をしてすっかり牙を抜かれてしまう、そんな暖かい場所だった。
それから、お世話になる旅館の大将に挨拶に行く。「お〜〇〇の息子か〜!すっかり大きくなったもんだ!よく来たな〜」と笑顔で出迎えてくれる、その後、「おめえさ、地元で悪さばっかしてんだって?」「いや〜お前の親父も昔は悪かったから似たんだべな〜」と思いっきり笑う大将、浜の男は笑顔が素敵だなと思った。その後、「お〜、お前タバコ吸うんだべ、寝タバコして火事だけ起こすなよ」と、旅館の隣の倉庫に案内される。倉庫に入ると目の前には水槽があり、取ってきたばかりのウニやアワビがいた。「すげ〜」なんて思いながら倉庫の二階に上がり、物置の一番奥にベッドがあるのが見える。「あそこがお前の寝床だ!」と大将が指を指す。心の中で「マジか、、魚臭いし、倉庫の中だし、何もねえ、こんなとこにいたら気が狂う」と思うが仕方がない、親父の先輩に文句を言うわけには行かない。なぜなら、親父から「いいか、お前、旅館の大将は普段は優しいけど暴れたら手に負えないから気を付けろよ」「昔、北海道で一番悪かった水産高校で不良やってたからな」と聞かされていた。ひとまず、「はい、ありがとうございます!」と礼を述べて、一人で寝床に行き荷物を置く。「今日からここが俺の住まいか」ベッドの目の前には窓があり、外では親父と大将がタバコを吸って何かを話しているのが見える。そして、遠くからは海の音が聞こえてくる。ふと、地元の不良仲間の顔が脳裏をよぎるが、まあ、あいつらも各々夏休みを過ごしているだろうと思う。あの時代携帯を持っている中学生はいなかったから連絡を取る手段は無かったため、1ヶ月間の缶詰生活がスタートした。
荷物を置いてから、旅館の炊事場に行き、パートのお母ちゃん方に挨拶をする。みんなが口を揃えて「お〜!〇〇の息子かい!でっかくなったな〜」と声をかけてくれる。「どうも」と一人ひとりに挨拶を済ませて、最後は旅館の女将さんに挨拶に行き、「どうも、今日からお世話になります」と告げると、「あら〜〇〇の息子かい!な〜に、不良やってんだって?今日からしっかりと働いてもらうよ!」と女将さんが言う。「お願いします」と告げて、旅館の掃除や布団敷き、風呂あらい、料理、皿洗い、洗濯、初日から全てを仕込まれる。初日からクタクタに疲れ切って、寝床に戻るのは夜21:00。「ヤベーとこ来ちまった」と後悔するが、親父は昼間のうちに「じゃあ、頑張れよ〜、一ヶ月後に迎えにくるからな」と帰って行った。
それから毎日仕事が始まり、朝の6:00に女将さんに「朝だよ〜」と言って起こされて旅館の炊事場で目を擦りながら朝飯を食う。その後、お客様の部屋を掃除、旅館全体掃除機をかけ、拭き掃除、休む暇なく昼間の団体バスツアー客の料理の準備をして次は風呂掃除。昼飯は14時。
ようやく、一息ついたら次は昼間の団体バスツアー客の皿洗いと、泊まりの客の布団敷き。
飯は十二分に与えられていたが、それでも足りず、あまりの空腹で団体客が手をつけずに残したおかずを喉奥にかき込みながら仕事をしていた。恥やプライドなんてなく、とにかく夢中で働いた、
仕事が全て終わるのは21:00時。その後、旅館の炊事場で晩飯を食べて、寝床に戻る。
寝床に戻る前に、大将が声をかけてくる、ちょっとこい、「なんかあったかな?」と思い恐る恐る大将の部屋に行くと「お〜、俺の肩揉め」、、。「嘘だろ、この親父、いつかぶん殴ってやる」と思うが「はい!」と言って大将の肩揉みをした。15分ほどしたら「疲れたろ〜飲め」と言って渡してくれたコーラを片手に部屋に戻る。コーラがやけに胃に染みた。
コンビニも無い、街灯もない、背後は山に囲まれた海の近くで、海の音、狐の鳴く声を聞きながら、窓から満点の星空を見上げてタバコをふかして眠りにつく。そんな夏休みを過ごしていた。
もちろん旅館では楽しいこともたくさんあった、泊まりの客が酔っ払ってチップをくれたり、大将と女将さんの息子(当時北大生)と一緒に風呂に入り長く話して、風呂上りに息子さんが鼻血を出してぶっ倒れたりするハプニングがあったり、休みの日は大将と温泉に行ったり。地元の人の家の晩飯に呼ばれてたり、
今ではいろいろとアウトな話だが、テレビもラジオもない、コンビニも無い場所。昔はこんな時代だったと勘弁してほしい。あの頃は大人も子供も世間も寛容だった。
夏休みが終わる頃、旅館の大将と女将さんが泣きながら「よう頑張ったな」と抱きしめてくれて封筒を渡された。帰りの車中で封筒の中身を見ると1万円札が数枚入っていた!!
ぱっと見でお年玉の数倍はある、、思わず息を飲む。迎えに来た親父にバレないように1枚、2枚、3枚、4枚、、と封筒に指を入れて数えていく。そして、中学生だったが働き対価を得る面白みを知った。しかし、全てを知っていた親父は「大切に使えよ。ママには言わねえから」とだけ言い残し、タバコに火をつけて、海岸線沿いを車で通り抜けて実家に帰った。
地元に帰ると不良仲間が待ってましたと言わんばかりに集まり、お互いの夏休みの出来事を延々と話をする。私が不在の間に隣町の中学生と喧嘩して勝った負けたなどの話を聞いて夏休みが終わる。全員が自転車やバイクで集まり、家から盗んできた酒とタバコで公園でどんちゃん騒ぎをして打ち上げ花火を飛ばしていたら警察がサイレンを鳴らして現れる、「逃げるぞ!」と全員が一斉に立ち去り家路に着きながら短い夏に別れを告げた。
「夏休みも終わりか」と自分で稼いだお金を見るとなんでも買える気がしたが、仲間には言わず母親に渡した。
最後に、
今の時代では考えられない話ではあるが、私が中学生の時はこのようなこともあった。
私自身とても貴重な体験が出来て、学校の先生、両親、旅館の大将、女将さん、全ての人に感謝している。
宣伝ではないですが、
①私が中学生の時にお世話になった積丹の旅館
②親戚の兄ちゃんが店長を努めている美国のウニ丼屋
夏休みに機会があればぜひ行ってみてはいかがでしょうか?
② https://tabelog.com/hokkaido/A0106/A010602/1038639/


