2016年の夏。私は地元、北海道北広島市に何も持たずに帰ってきた。高校卒業後、横浜で道路工事の仕事に従事、その後、親友の死をきっかけに上京し、東京都世田谷区等々力のシェアハウスで生活しながら、アルバイト生活の傍で役者の養成所に通い、自分探しをしていた、その後、もう一度自分の人生と本気で向き合い、もう一度『夢』をやり直したいという思いを抱き北海道に帰省した。失敗ばかりの長い道のりだった、。家族に迷惑をかけた、。いつも自分のやりたいことばかり優先して失敗を繰り返してきた私、そんな私を両親は何も言わずにもう一度迎えてくれた。それから、ゴルフ場でアルバイトをしながら、夜は地元の学習塾に通い、中学生の隣で基礎から勉強をやり直した、恥ずかしい気持ちなんてなかった、ただひたすら大学に行きたい、教職の単位を取って教師になりたいと思って、今まで逃げてきた勉強の努力をした。そして、大学の入学式に参加した時、私は同級生の顔を見ていた、自分よりも遥かに年下の子たちとこれから一緒に学ぶ。全国から集まってきた同級生、それぞれの想いを胸にこの場にいる、中にはすでにホームシックになっている子、友達作りに必死な子、大学生になり髪の毛を訳のわからない色に染めている子、新しい環境下で自分の居場所を作ろうとしている同級生を横目に、私は自分が今後どのような学びを得ることができるのかと考えていた。
大学にはもちろん、制服や頭髪の規律はない、派手な見た目の学生やいろいろな髪の色の学生がいる、中には茶髪で抑えとけばいいのに、。ピンクの髪にしている学生さえもいる、昔の私も中学生の時から髪の色を金髪や茶髪にしていたが、流石にピンクや緑にしたことは無かった、。まさか、勉強をしっかりとしてきて大学進学という大きなチャンスを手に入れている子たちが、髪の色をピンクにしているのは驚いた、。何かへの反発なのか、自己表現なのか、考えてもわからない。個性は人それぞれであると再認識した。同級生には留学生も多く、中には私と同い年の留学生もいたためすぐに仲良くなった。生まれた国が違う仲間と語、共に学び酒を酌み交わし、留学生と接しているうちに海外への興味が沸き、東南アジアやニュージーランドへの留学を経験した。大学生活では、目の前にある学生生活の一つひとつと正面から向き合い、そして全力で学び、新しい経験を吸収した。私にこれ以上の時間は無い、これがやり直すラストチャンスかもしれない、目の前の学びを逃すと、もう後戻りは出来ないかもしれない。学生という身分を手に入れて10代の頃とまた同じことを繰り返してはいけない。この先、30代になり稼ぎがなく、大学生活のやり直しはもう無理だろう、子供が出来たら尚更自分の時間は取れなくなる、今が最後のチャンス、全てを全力で楽しみ学び、この先の自分の人生につなげる必要があった。
大学では観光学や英語学、時事問題、地政学などの様々なことを学んだ。大学2年の頃には学年で上位のtoeicの成績を納めて留学補助金をいただき、ニュージーランドへの留学を経験した。ニュージーランドから帰省したときに『英語学習は思っているほど難しいものではない』と認識した、そして英語を武器にすれば飯が食えることを発見した。英語を学ぶことよりも、英語という道具をどう活用するかの方が大事であると大学生活で学びながら、私は学習塾のアルバイトで生徒に英語を教え、アルバイト先の魚屋では英語を武器に外国人観光客に日々お土産を売っていた。そして、今は家庭教師として英語を教えに来ている。私の仲間は卒業後、ほとんどが英語教員になった。
初めての家庭教師から数日後、生徒の母親からラインが来た、『先生、またお願いします。』その後、日程の調整を行い、週に一度お家へ訪問して英語を教えることが決まった。
毎週金曜日の夕方、生徒の家へ向かう。そもそも『学校辞める』と言い切っている生徒。小手先の技術なんて通用しない、綺麗事なんて響かない、生徒の反抗心と生意気な目に本気で向き合う必要があった。そして、生徒宅へ行くたびに親子関係が悪化しているのもわかる、生徒の親も疲れ切っている。そして、生徒自身も疲れている。子どもの反抗期は一言では片付けることが出来ない。態度や言葉は最悪、自分で制御できない、理由さえもわからない怒り、反抗心が湧いてきて闇雲に家族にぶつける。本当なら大したことない小さな問題でさえも大きな怒りとなり、その怒りを家族にぶつけることがある。そして家族全員が溜まりに溜まったお互いのストレスを衝突させてしまう時がくる。
私が家庭教師を担当してから一ヶ月が経過しても、生徒は『学校は辞める』と言い張っていた。『わかった』、と言いながら、それでも英語だけは勉強しておこうとなだめて、生徒の好きな洋楽の歌詞を和訳したり、英語の基礎を一緒に学び直していた。反抗期の生徒、機嫌の良い日、悪い日ははっきりしている。時には今日は『だるい、やりたくない』という日だってある。それでもしっかりと目の前の時間に一緒に向き合う必要があった、なぜなら、中途半端に目の前のことを放り投げてしまったら、この子は一生、目の前の問題から逃げ、放り投げる癖がつく、今はまだ許されるが社会人になったらどうだろうか?仕事、子育てなど様々な場面でいくつもの困難に直面する時が必ず来る、その度に途中放棄するわけにはいかない。この子の人生にとって今の時間を放り投げることは簡単である、しかし、今、逃げたことが原因で様々な苦労を背負うことになるかもしれない、人間は弱いからこそ、乗り越える力を備える必要がある。私は親ではないが、生徒には本気で向き合うと決めている、10代の頃、自分自身が失敗や過ちを犯してきた、さらに、昔の友達の中には生きてるのか死んでるのかさえもわからない奴だっている。私たちは不良という名のもとに、目の前の学びから逃げて、自分勝手に生きてきた。その過ちを生徒に絶対に行わせてはいけない、どれだけの人間に迷惑をかけ、どれだけの人間を泣かせてきたか。悔やんでも過去はやり直せない。だからこそ、今の私がするべきことは、生徒を信じ、全力で向き合うことだ。
しかし、残念ながら、毎週金曜日に生徒宅を尋ねるごとに状況は悪化していた、生徒が学校へ行かない、夜中に窓から脱走、帰宅時間が遅いなど、親子喧嘩が勃発して警察沙汰になるなど、。親が指摘すればするほど反抗心を燃え滾らせて、生徒の行動はエスカレートしていたようだ、それでも親は子供に指摘する、自分の命をかけて産んだ子、命を投げ出しても守と誓った我が子を適当に扱うわけがない、愛があるからこそ子供に本気でぶつかる、良い人生を歩んで欲しいからこそ口が煩くなる。しかし、生徒は反抗期真っ只中、負の決断と行動がエスカレートするごとに、取り返しのつかないところまで来ている。そんな中で、第三者の私に出来ることはなんだろうか?週に一回、笑顔でお家に訪問して英語を教え、気持ちをなだめる、、。それで何かが変わるのか?自分の無力さに落胆し、自分への怒りさえも覚えた。『お前はGTO/ヤンキー母校に帰るを見て何を学んできたんだ』、もう一度考え直す、『俺は、大学に入学して社会の常識を考えるようになった、いつから人前で猫をかぶるようになったのか、そもそも大学入学してから理屈っぽくなったんじゃないか、果たしてヘラヘラして勉強だけ教えることが俺のやりたかった教育なのか?』鏡の目の前の自分を見つめ直す、だんだんと自分へ腹が立ってきた、拳を握って自分の呼吸、血の流れを感じる。息を止めると時が止まった、その瞬間、全力で自分の拳を壁にぶつける、目の前の壁に穴が空き、拳から血が流れている。答えは決まった、嫌われてもいい、全力で生徒にぶつかる。そして、壁穴を直す、。
最近、紅茶にハマりました!レッスン前にほっと一息。
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