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Lesson 2.『チャンスは必ず来る!』GTO/ヤンキー母校に帰るに憧れて学習塾起業

家庭教師立ち上げの時のチラシ中学受験

 

日曜日、大学は休み。私は朝7:00に起きて、このまま雨が降らないことを祈りながら、中古(2年ローン)で買った真っ赤なワーゲンに乗り込んで、魚屋に向かった。魚屋では日本ハムファイターズ応援キャンペーンで特売セールということもあり、朝から店の前には長蛇の列が出来ていた。「せっかく自分で家庭教師を始めるんだから」、という店長と上村さんの声に押されて、チラシを10枚コンビニで擦り、魚屋名物の干物コーナーの上にチラシを貼り、準備万端で開店を待った。

 日曜日の忙しさで時間の感覚を忘れ、無我夢中で魚を売る、目の前のお客様は絶対に逃さない、必ず楽しんで帰ってもらう、朝からぶっ通しで働き、時計を見ると十三時になっていた。魚屋羅臼には一人、また一人と続々とお客が押し寄せていた。いつも元気全開で魚を売る上村さん、裏方で僕たちを支えてくれるパートのお母さんたち、仕事に熱く、時に冷静に次の指示をする店長全員が目の前の仕事に集中していた。

 「すみません!」「このチラシ!」女性の声が聞こえる、「ちょっと待って下さい!」昼時は忙しく、私はお客様の対応に追われていた、1〜2分待たせていると、「また後できます。」との声が聞こえた。すぐに、他のお客様から、「すみませ〜ん、1万円分見繕って〜」との声が聞こえてきた。。

 今まで数千人のお客様を相手に上村さんと一緒に魚の対面販売を行い、お客様を楽しませてきた、時にはレゲエの音楽をかけて踊り、時にはメガフォンを持って脚立に立って叫び、時には変な被り物(ちょんまげ)(魚のお面)をして常にお客様に笑っていただくことを考えて、店頭に立ち続ける。しかし、今は新米家庭教師&魚屋の兄ちゃんとして真剣に耳を傾けている。先ほど、声をかけてきたお客様が戻ってきた。そして目を細めて言った。

 「うちの娘、高校生なんですけど、家庭教師お願いできませんか?謝礼は現金で払います。」チラシを貼ることを承諾してくれた、店長、上村さんを横目に、僕は答えた。「わかりました!娘さんいくつですか?」母親が答える「17歳、高校二年生です。」「わかりました、任せてください!家はどこですが?」「札幌、清田です」「いつからにしますか?」「来週からお願いします。」「了解です!」速攻で契約は成立した。そんな僕をじっと見ている小さな女の子がいる、僕がこれから担当する生徒の妹らしい、「何歳?」と聞くと、素っ気なく答える、「9歳」、。横を見ると優しそうなパパさんがニコニコ笑顔で立っている。そして、家族は魚を大量に買って去って行った。 それから、今日のバイトが終わり喫煙室で店長、上村さん、僕の三人でタバコに火をつけて他愛もない話をして解散した。明日は大学だ!家庭教師は金曜日の夜、楽しみで待ちきれねーなー!と思いながら、換気扇の下でタバコをふかしながら缶ビールを空けて、PCを開き、明日締め切りの課題をやる。そして課題が終わる前に深い眠りについた。

真っ赤な中古のワーゲンの助手席を倒して、サーフボードとウェットスーツを積んで大学に行く。空きコマがあれば、学校から片道30分で海に行き、ウェットスーツに着替えて速攻で海に入り、波を待つのが僕のキャンパスライフの日課だった。今日も天気が良く海は貸し切り、僕は太陽の下、真剣な眼差しで波を見つめて、金曜から始まる家庭教師の事を考えていた。

 午前は白かった肌が、真っ赤になり大学に戻ると、同級生からは「ヤバ!」「クロ!」と笑われ、「海だよ」「お前らも勉強ばっかしてないで外で日焼けしろ」と返す。「はーい!」と返事が聞こえ、今日最後の講義が始まる。講義は真面目に聞き、面白いと思ったことは全てメモをする。僕は同級生と違い23歳で大学に入学している、学べることのありがたみや、学生の身分の尊さ、今の時間を存分に味わうために全てに夢中だった。講義も終盤に差し掛かり、あたりが暗くなるにつれて大学生の別の夜が始まろうとしていた。

 最後の講義が終わり、気の合う同級生を狭い車に載せてパチンコ屋に向かいながら賭けをするのも大学の日課だった、「フミヤ君がいるに500円、いないに500円どっちにする?」、僕は毎回いるにかけていた。なぜなら彼は必ずいるからだ。パチンコ屋の駐車場に到着してあたりを見回すと、ジムニーを見つけた、「やっぱりいた!」店内に入り、スロット台が並んでいる台列を歩いて回ると目の前に携帯を片手にスロットを打つフミヤくんを見つけた。今日も小遣い稼ぎをしているフミヤくんの隣で適当に1000円をスロット台に入れて打ってみると大きな音がした、「当たりですよ!!」隣からフミヤくんの驚いた声が聞こえる。その後、僕たちは朝の三時まで飲んで、翌日は大学に遅刻した。。

 中学卒業間近、担任と校長から、『残念ながらお前が行ける学校は無い。』通信制の学校に行ったらどうか、地元から離れて余市で寮生活を送りながら高校にいったらどうだろうかと言われ、憧れだった、GTO、ヤンボコのドラマを見ることも辞めた。世間に反抗して迷惑ばかりかける中学校生活を送ってきた私は、地元通信制の高校に進学、高校生になっても仲間と喧嘩やバイク、遊びに興じて、高校卒業後、横浜、東京を転々として22歳で地元、北海道に帰ってきた。

 高校卒業後、自分とは何か、自分の夢は何かと自問自答の日々を送りながら、横浜では道路工事の仕事に従事していた、その後、親友の死をきっかけに、昔の不良仲間全員の連絡先を消して上京し、東京ではガソリンスタンドでアルバイトをしながら役者の養成所に通った。あの時は、とにかく何かに夢中になりたかった、嘘でもいいから新しい自分を認めてくれる場所を探していた。しかし、人生は甘くない、役者で飯を食えるのは100万分の1程の運と100万人以上の努力が必要。高卒、元不良の僕が業界で仕事を得れるほど甘くはない、それでもテレビ番組スタッフが素人の家についていく番組などの撮影を受けたが全てがボツになった。このまま役者で売れないで東京で過ごして歳を重ねることを考えると何もできない自分の状況に胃が痛くなった、。人生の道に迷っていた僕に、人生はやり直せる、もう一度挑戦してはどうかと手を差し伸べてくれた東京で出会った通りすがりの爺さんの言葉を信じて、地元に帰り二十二歳で学習塾に通い、中学生と一緒に学び直した。きっと、僕の親友、十八歳で交通事故でなくなった彼が背中を押してくれたに違いないと思う。北海道に帰省後、親友の分も僕が全力で生きてやると誓った。

たまに更新するので見てください

ローカルラーニング 清田

代表、長浜正悟

写真は家庭教師時代のものです!今はやってません!

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