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Chapter 6. 「やるかやらないか!」代表の本音ver.

中学受験

人に決められるのが嫌だ!自分のことは自分で決めたいんだ!そう思う人が多いでしょう。これは大人も子供も一緒ですよね。私も人に決められて行動するのは嫌です、社会生活は刑務所ではありません。自由の名の下に生きて、自身で決定を行い、必要最低限のルールを守りながら他人と共存して生きていくと私は思っています。

それってあなたの感想ですよね!と思った人は、ここで閉じていただいて大丈夫です。

人間は誰でも自分で決定したい生き物です。何を食べるか、何を飲むか、何を学ぶか、何を買うか、いつ寝るか、どこに行くか、誰と恋愛をするか、などなど、生活していると常に選択を迫られます。

選択の中には目の前の課題も含まれます、「やるかやらないか」は自分次第。

現代社会は自由という名のもとに、私たちに選択の自由を与える代わりに起きえる結果は自分達の責任であると教えてくれています。結果の形はわかりやすいです。検定、ダイエット、スポーツ大会、進学、就職先で得る対価など。不満がある場合はもう一度、自身の行動の全てを見直す必要があるでしょう。自分は誰もが認めるくらいに努力したのか?

わかりやすい例で考えてみましょう!子供達が持つ学びの選択肢についてです。学びの最終地点は就職に繋がるパターンが主なので、ここでは学びの先にある就職から考えてみます。小中高大学で一生懸命に学んでお医者さんになった場合の生涯年収と、小中高で普通に学んで会社勤めをした場合の生涯年収、両者は違います。どちらが多いでしょうか?言わずとも分かりますが、どれくらいの差が開くのでしょうか? サラリーマンの生涯年収が大体2〜2.5億、お医者さんの生涯年収が大体4.5億と言われています。これは才能ではなく、自分自身が学びの課題を目前とし、取った選択肢、決定と行動(まずはやるか、やらないか。その後、本気でやったか、やらなかったか、もしくは手を抜いたか)が招いた結果として『お金』という対価として、わかりやすい数字で現れています。

 学校や学習塾では子供達と向き合う中で勉強を教えるだけではなく、子供たちの目の前の課題に一緒に取り組み、その後、生徒人生の選択肢の幅を広げてあげることも重要です。

 私には姪っ子がいます。姪は東京にいるのですが、幼稚園受験、小学校受験を乗り越えて現在は小学5年生、次は中学校が待っています。格式高い学校に通っているのですが、聞けば卒業生の70%が医学部に進学しているとのことでした。これは生まれ持った才能ではありません、目の前の選択肢(特に学び)を自らが受け入れて、やると決めて果敢に努力した結果です。姪がまだ小さい頃、私が東京の姉夫婦の自宅に遊びに行くと朝泣きながら宿題をやっていました、『宿題終わるまで遊ばせないからね!』と私の姉に言われて、それでも投げ出すことはなく、泣いて怒りながら必死に取り組んでいました。悔しくて、悔しくてボロボロと涙を流しながら、幼稚園児が必死に大量の宿題を終わらせてから質素な朝食を食べ、お兄ちゃん一緒にゲームしよう!と微笑んできました。月の家賃100万を超えるマンションに住んでいるセレブの娘でさえも涙を流して勉強するギャップに驚き、バックグラウンドに関係なく努力は大事だと気付かされました。その後、15分ほど一緒にマリオパーティーのゲームをしましたが、15分はあっという間。次は習い事の時間です、お兄ちゃんまた夜遊ぼうね!と姪は笑顔で習い事に行きました。ゲームは友達が遊びに来た日しか出来ず、時間があれば必ず読書する、習い事は週7日、英会話、フランス語、テニス、学習塾、ピアノなど。そんな姪の姿を見て、正直そこまでやらんでもいいんじゃないかと思っていました。心配さえも覚えました。子供はのびのびと遊んでるくらいがちょうどいいのではないか?遊びの中から得ることはいくらでもあると。ある時、そんな質問を母親である姉にぶつけてみました。『正直厳しすぎない?』姉は真剣な目で私を見返し答えました。「今、楽させて将来の選択肢を失わせる方が責任感がない!自分が大人になった時に才能では無く、学力が原因でなりたい職業に付けない方が娘にとって悲しいこと、だからこそ、今、頑張っているの」と、。考え方は人それぞれなので一概に正しいとは言えませんが、確かにその通りだと思います。よくこの話をすると、「いやいや、先生の姪ちゃんはお金持ちの家に生まれたから!」と言われるのですが、論点はそこではありません、この先の生活が保証されているバックグラウンドを持つ人間が小さな頃から人一倍の努力をして泣きながら目の前の選択と行動を今後の人生に活かそうとしている中で、私たちはどうだろうか?と考え直す必要があることです。逆に考えれば、普通の人間が努力をやめて遊んで楽した場合、結末はどうなるか?私は普通のサラリーマンの両親のもとに育ち、不良という選択を選び、中学時代は遊んでばかりでした。その結果、やり直しも含めて相当な時間とお金を費やしました、もし大学に行き直さなければ今でも横浜でスコップを持ってヘルメットを被って仕事をしていたと思います。なぜなら途中で学ぶ選択肢の中から(やらない)を選んだから、我が子にヘルメットをかぶらせてスコップを持たせて死ぬまで働かせたい親はいないでしょう。別件ですが、今でも大学にかかった費用を少しずつ返済しています。それでも学び直す選択を選び、その後、努力をして良かったと心から思っています、自分の「夢」である教育の仕事をできているからです。

 私たちは選択肢を誰もが平等に持っていると考えていますが、それは違う。努力した人間が持ち得る選択肢の幅、努力を惜しんだ人間が持つ選択肢の幅は違います。

私はそれから真剣に考えるようになりました。答えは二つ。「やるかやらないか」あなたは子供とどう向き合いますか?人生は半分博打ですが、半分は保険です。

今日もお疲れ様でした!明日はうちの生徒のケンブリッジ英検、寝る時間ないな。

私がニュージーランドに留学していたときに好きだったクッキーを置いてます!

ローカルラーニング 

長浜正悟

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